神宮寺レンくんと“信じる力”について真剣に考える
「信じる力を与えてくれたキミは天使さ」(2019.10.4. 神宮寺レンTwitter)
この一行に、とても深い意味を感じてしまった。
信じる力。
他人、家族、自分、仲間、ファン...
察するに、全てに対してレンくんは少なからず猜疑心を持っていたのだと思う。
彼はよくファンから愛を教えてもらったというけれど、その“与えられた愛を信じる力”についても与えてもらったものだと述べている。
自分に愛が向けられていると気づいたのはいつ頃のことなのだろう。
彼は学生時代、女子生徒にとにかくモテていた自覚はあっただろうし、向けられる視線が熱のこもったものであると感じていた。
けれども、それは家柄やルックスに集るものでしかなくて、レンくんにとっては一晩与えられるだけで十分だった。
それも一つの“愛”の形であると、レンくんは気づいていたのだろう。
一夜を共にした女性の中に、一晩だけでも全力で彼を愛したい、そして彼から愛されたいと望んだ情熱的な愛があったことを、彼が蔑ろにするようなことは決してなかったと思う。
きっと一度出会った人の名前と顔は絶対に忘れない。何年後かに当時のレディが彼と出会っても、彼は懐かしそうに微笑んでくれるだろう。
女子生徒たちから受け、一晩でも与えていたその愛が、彼の中で永続的なものにならなかったのはなぜか。
それは、当時のレンくんにはその愛を“信じる力”がなかったから。
当時の彼の中での愛の基準は、恋愛よりも家族愛が基準であったような気がする。
愛とは誰かに必要とされ、生まれた意味を知ることができるもの。
圧倒的にその存在意義を知る術が欠けていた彼の家庭環境のせいで、普通の家庭なら自然と知ることのできる“母親の無条件の愛”を知らないでいる。
家族愛と恋愛感情の差をあまり知らないが故に、レンくんが求めていた本質は、その両方を含めた“愛”をだと感じた。
むしろ、そんな家庭環境で育っていながら、純真なフェミニストに育ったことが奇跡だと思う。母親のような暖かさを求め、理想化してしまううちに、女性に対しての憧れが強くなってしまったのだろうか。そう考えると愛しくてたまらない。
自身の最大の魅力であるルックスを生かして、寂しさを隠して強がり、たくさんの人の目を浴びて、「みんなのもの」と称して不特定多数の愛や憧れを求めていた。
そこに集う女性との恋を「遊びの恋」と言っていたけれど、きっとレンくんはその一瞬だけでも、本気で相手と恋を楽しんでいるのだと思う。彼が女性たちを蔑ろにしないのは、そういう彼の姿勢によるものだと思う。
一夜明けてしまえば、信じる力のないレンくんはその愛が冷めることを恐れて距離を置く。そしてまた、新しい愛で埋めていく。そんな日々を繰り返していた。
レンくんに与えられた愛を信じる力があれば、一晩だけ抱かれたあの女子生徒たちの中に、永遠の愛となる出会いがあったのかもしれない。
彼が早乙女学園での1日を迎える理由となった彼女たちもまた、現在の神宮寺レンくんになるまでの道しるべの一つなのだと思う。
仲間と共に歩めるようになって大きなステージに立った時、向けられたファンからの愛の大きさに、彼は心底驚いたことだろう。
その愛は自身が努力すればするほどどんどん大きくなり、怖がりながらも強がりな一面を少しずつ剥がせるようになって素の自分が自然とでてくるようになっても、ファンが幻滅せずについてきてくれる姿を見て、少しずつ少しずつ愛を信じられるようになったのだろう。
何よりも、支えてくれる仲間の存在が非常に大きかったと思う。
今回のアルバムでしきりに書かれている「アイドルとして」という言葉。そのあとに続く言葉は、どれもファンに向けてだけでなく仲間と共に歩むことの覚悟のようにも感じる。ST☆RISHのみんなは、一つも漏れなく受け入れてくれているのだろう。
「皆と歌っていると生きていると実感できる」というようなことを最近レンくんは口にだすが、一緒にいると幸せになれる仲間と出会えたのは、間違いなく彼の人柄が為すことであるし、単なる運命という言葉だけで繋がれるような絆の深さではない。ファンとして、そういうST☆RISHを見るのがほんとうに好きである。
ファンや仲間が愛が背中を押して、自身のコンプレックスや過去と向き合える強さになった。過去を知っても皆が愛してくれると自信があったから。
「人に幸せを与えるには、まず自分から……ってね」
この言葉が彼自身から出てくることが、本当にすごいことだと感じる。
こうして成り立つアイドル神宮寺レンくんとファンの時間が、約9年。
互いにここまで深くつながるのに必要な年数だった。
ファンとレンくんの相思相愛っぷりについては、わざわざ語ることでもないだろう。
最後に、総括。
星影セイラ、マジですごい。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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