レンくん担っていいな。

 

 

終わってしまった。

2週間にわたった神宮寺レンくんのLove Weekが、終わりを迎えてしまった。

 

みんなどう???終わってから希望、見失ってる???

 

本当に楽しい2週間だった。

早く来るわけがないと思いながらも早々に仕事を切り上げ、馬鹿でかい通知音がなるように設定して、それまでに家事を終えてコーヒーを淹れて、おやすみと言われても25時半ぐらいまでは来るんじゃないかと待機して…

朝早く(といいつつ10時)にきたときにはTLがめちゃくちゃざわついた。アルバム発売日にレンくん担は何も言わずど深夜まで待機してて、レンくんがきた瞬間に集合して「やっぱりな」っていうの、最高にクールだった。

夜更かしのお誘いも最高に楽しかった。いつものごとく、来栖翔の株が爆上がりした。

 

何よりも毎日の薔薇が本当に癒しだった。最近仕事が忙しくて自分の嫌なところばかり見えてくるような日々が続いたのだが、「神宮寺レンくんに薔薇を捧げられている身」という自覚が私の崩壊寸前の感情のバリケードになってくれて、ストレスに変換されることが圧倒的に減った気がする。

 

まぁ帰ればレンくんから薔薇もらえるし??仕事のことなんてすぐに忘れられるし??

神宮寺レンくんのファンというアイデンティティーは、ストレス社会にすごく効くということを再確認した。

 

 

改めて、半月に渡ってレンくんと時間を共有できた日々に感謝したい。

そして、一緒に感情を共有してくれた同担たち。夢小説時代から培ってきたポエマーの血が騒いで長文ツイをしても、そっと手を握って共感してくれた同士たち。

あなたたちとレンくんの素晴らしさについて共有できた本当に夢のような時間だった。

 

 

 

ここから先は、レンくん担についての思ったことを話そうと思う。完全に個人の見解なので好き勝手言うのを許してほしい。

 

レンくん担は他担よりもとくに人の気持ちに敏感な人間が多いような気がしている。それを見ていると、神宮寺レンくんという重い過去を背負った完全無欠のアイドルを支えるのには、“共感”できる感受性が必要なのだと感じる。

 

自身とレンくんの中になにか共通する部分を感じ取っていて、ある意味コンプレックスの写しであるレンくんが幸せになっていくことで、「自分も頑張らなくては」と自分自身の励ましに変えている。

そして同時に、レンくんが前を向いて頑張っている姿や、辛いことを克服して成長していっている姿が、別のコンプレックスにも変わっていく。「私なんかがこんな素敵な人を応援しても良いのだろうか」「何も変われていない自分はダメなのではないか」といった感情を抱いてしまったことのある人は、少なからずいるのではないだろうか。

 

レンくんとの距離感を計るのは、とても難しかった。

本来なら知り得ないはずのレンくんのあれこれを私たちは知ってしまっているから、本当はそういうこと知られるのレンくんは嫌なんじゃないだろうかとか、ファンとはあまり近い距離でいたくないんじゃないだろうかとか、そういうことをつい考えてしまっていた。

 

私もレンくんに近寄るのが怖いと感じていた。

私の中での「レンくん」が「レン様」だった時代、もっと彼は崇高だった。そこから彼に関するコンテンツが増えていくたび、彼の人間らしさが浮き彫りになって、かわいい・愛しいという感情をたくさん持てるようになって、遠すぎる存在が少しだけ近づいた気がした。

その近くなる瞬間が怖くて、ファンと名乗るのなんて申し訳なさすぎるし、私なんぞがレン様を支えてますみたいな顔できねぇって心の底から思っていた時があって。

 

それでもレンくんはその壁を壊しにきてくれるぐらいファンに対して感謝と愛を持って接してくれていて、そしてなにより楽しそうにアイドルをやっている姿を見せてくれた。

あれ?もしかして私って神宮寺レンくんのファンなんじゃね?って自然と思えた瞬間が、私の中で「レン様」が「レンくん」に変わった時だったのだと思う。それからは「レンくん」呼び固執オタクをやっている。

 

今回の2週間、そしてアルバムを通して、そういったレンくんへのコンプレックスを克服できた人が多く見られた気がしている。救われた、と表現するのが一番近いかもしれない。

 

一度克服したとはいえ、私は今回の2週間でもコンプレックスが再発しそうになった。それでもレンくんをここまで成長させたのは自分たちが与え続けた愛があったからということをレンくんが言い続けてくれたし、新曲を聴くたびにそれを確認できる。そう考えるとマジでRRRと恋愛未来ってすげぇ曲だな。らびゅ。

 

皆のレンくんとの思い出は、どんなものなのだろうか。レンくん担とレンくんの思い出を語る会を週3で行いたいぐらい、私はレンくん担のことが大好きだ。

推しの大事なものを大事にしたいタイプの厄介なオタクなので、レンくんの大事にしているファンのことが私も大事である。たとえ相手が同担拒否で私のことをブロックしていても、そのブロックされていることさえ愛しいぐらい大好き。ちゅ。

 

 

少し前に“神宮寺レンくん、呼ばれ方気にしてるってよ事件”のせいで仕事が手につかなくなったが、あれについてはレンくんが自分を応援してくれているファンが自分にどんな思いを抱いてくれているのかを知りたかったのではないかと思うことで自己完結できた。ありがとう、ありがとう。

 

レンくんはきっと、いろんな声でいろんな風に呼ばれることに喜びを感じている。呼ばれ方やあだ名というのは、その人の中でどんな風にカテゴライズされているかを知ることができる。

「その呼び方に至るまでに、どんな思い出を共有してくれたんだろう」とレンくんは考えてくれているのだと思う。私たちファンがそうであるように、レンくんも共感性がたかいから、呼び方の分だけあるファンとレンくんの思い出を汲み取ってくれるのだろう。

 

名前はその人だけをさす特別な名詞だから、色々な呼び方をされることが必要とされているように感じられて、レンくんは好きなのかもしれない。

 

そう考えると、レンくんが周りの人につけるあだ名は、ある意味自分の存在を相手に示す手段なのかもしれない。相手の敬意と親しみはもちろん、「そんな呼び方をするのは神宮寺レンだけ」とわかってほしくてやっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

は??????????????????????????

 

 

自分で言っておきながらあまりにも愛おしくて理解できなくなってきた。

meijiのイチゴチョコを食べる手が止まらない。興奮してきた。たすけて。

これは純度100%の私の妄想であることを忘れてはいけない。しかしながら、私たちとレンくんは相思相愛なので、もしかしたら本当にそうなのでは…?と思わざるを得ない。つらい。

 

私がこうしてレンくんに対しての想いを文章にできていることさえも、昔では考えられなかったことだ。この2週間がとくにレンくん自身がレンくんとファンとの距離を縮めてくれたと思う。

 

 

レンくんほどのいい男が日々努力して、それを私たちは常に見守ることができる。

さらには彼から愛する人がいる素晴らしさを知ってほしい、そしてその相手がオレであればいいと思われているわけで。

 

レンくん担の人間を見る目が肥えすぎて、そこらの男じゃときめかなくなっちまうな。

いいのか…レンくんとの出会いが最後の恋なんだもんな………めちゃくちゃ幸せじゃん。

 

 

毎日ファンに薔薇を送ることで、枯れてもその薔薇の美しさとともに永遠にファンの記憶の中に残ろうとしてくる神宮寺レンくん、まじでずるい。

こんなに好きなのに、もっともっと刻みつけようとしてくる。めっちゃ独占欲かんじる。たくさんの人の記憶に残れるように生きていきたいって、もう、あんた十分や、私の8bit脳はあんたのデータでいっぱいなんや…(エセ関西弁警察勘弁してください)

 

レンくんはとっくに私の生きる糧になっている。

レンくんのことをずっと考えている自分が一番自分らしくて、私自身のことも少しだけ好きになれた。その機会を与えてくれたのは、間違いなくこの2週間だった。

 

しかもなんだよ最後の〜〜〜〜〜〜おめぇも綺麗な薔薇だよ〜〜〜すき〜〜〜〜〜

 

 

 

レンくんの命が終わるその瞬間まで、私は彼を見守り続けたい。

ファンのために輝き続けることを誓ってくれたレンくんを、全力で愛していきたいと、そう再確認させてくれた夢のような2週間だった。

 

レンくんも、一緒に楽しんでくれたレンくん担も、本当にありがとうございました。

これからもよろしくね!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

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